関白宣言はダンボールテーブルの上で■アースダンボールメルマガVOL204■2025年4月号-2

「俺より先に寝てはダメ、後に起きてもダメ、  百歩譲ってそこまではいいけどさ」 「うん、そこまではいいけど?」 「俺より先に死んではダメ、  これはどうしても認めたくないのよ」 「どうして?」 「だってさ…」 (´o`)п(´o`*)п(´o`*)п **************************** 妻と初めてこの会話をしたのは今から40年も前。 私も妻も20代前半、結婚したばかりの頃だった。 あの頃は貧しくて、ダンボール箱をテーブルにするっていう、 絵に描いたような貧乏暮らしを始めた頃だった。 それでも毎日が笑顔に溢れてとても幸せだった。 妻は天真爛漫でいつも笑顔を絶やさず、愚痴もこぼさない女性だった。 子供の頃からそんな性格だったようで、そしてそれは今も変わらない。 そんな妻が余命半年の宣告を受け、もうすぐその半年になろうという今も、 その天真爛漫さはやっぱり変わらない。 ただ、今の天真爛漫さはどうしても今までと少し違って見えてしまう。 なんというか、全てを受け入れる覚悟ができているというか、 どこまでも自分らしくあろうという強い意志もあるのだろう。 その言葉の一つ一つを絶対に取りこぼすまいと、 自然と私に思わせるに充分なエネルギーがあった。 だから、妻がどんな話題を振って来たとしても、 私はただその話を正面から受け止めるだけだ。 これもある意味、私の覚悟と言えるのかもしれない。 「ねえあなた、結婚したばかりの頃にした話、覚えてる?」 「関白宣言の?」 「そうそう、ダンボール箱をテーブルにしてた頃でさ」 「すまんな、あの頃は本当に苦労をかけてしまって」 「ううん、そうじゃないの。最近、あの時の会話をよく思い出すのよ」 「うん、君は "俺より先に死ぬな" は許せないって言ってたね」 「そうよ、だってさ、自分勝手すぎだと思うのよ」 「まあ関白だからなあ、自分勝手も仕方なしっていうか…」 「にしたってよ。"俺より先に死ぬな"って事はさ、  1日でも俺より長く生きてくれって意味もあると思うけど、  結局は "愛する人が死ぬ悲しみを俺に味あわせるな" って事でしょ。  つまり"俺さん"が先に死んだら奥さんがその悲しみを味あわなくちゃいけないのよ。  自分じゃなくて奥さんにその悲しい想いをさせるなんて、  それって本当に奥さんの事を愛してるのかしら?  私だったら逆に考えるな。  自分が愛する人に、愛する人が死ぬ悲しみなんて味あわせたくないわ。  だから私だったら "絶対に私が後から死ぬわ" って言う。  その悲しみは私が受け持つわ。これが本当に愛してるって事よ。  …って、私あの時、そんな風に言ってたわよね」 「うん、よく覚えてるよ」 覚えてる、ハッキリと覚えてるよ。 だったらぜひそうしてくれよ。 俺より先に死なないでくれよ。 私はそう出かかった言葉をのど元で止めた。 でも今、この状況にあってこんな会話を交わす私達夫婦に、 傍(はた)から見ている人は違和感を感じるかもしれない。 "何を縁起でもない話をしてるんだよ、 そんな話題、今話さなくてもいいだろう" 少し前までの私はそう言っていただろう。 でも今だからこそ話さなくちゃならないっていう事が世の中には沢山あるし、 そうだと気付くと、どんな内容でも意外と自然な会話にもなるものだ。 だから私はあえて、妻にツッコミを入れてみた。 妻が言葉に詰まるかどうかはさほど問題じゃない。 純粋に、本当に純粋に、妻がなんて答えるかが聞きたいんだ。 またそんな私を、妻は受け入れてくれるはずだから。 「それで?君は今も同じ心境なのかい?」 少しの沈黙が流れた。 でも私は考え込んでいる妻からの返しを、穏やかにじっと待った。 「うん、同じ。やっぱりあの時と同じだわ」 「そっか、一度言い切ったら変えない!君のいい所だよ」 「でもね…」 「うん、でも?」 その後、妻の口からは答えが無かった。 その話題は自然と終了した。自然と、自然とだ。 妻が何が言いたかったかは想像がつく。 きっと、こう言いたかったんだろう。 「やっぱり貴方より後に死にたい、  貴方に愛する人が死ぬ悲しみを味合わせたくない、  でもそれが出来そうにない、ごめんなさい…」と。 こんなにも、こんなにも胸が張り裂けそうな会話を、 落ち着いて、澱(よど)みなく自然とできるのは、 既に正気を失ってしまっている訳ではなく、 ましてや防衛本能が心にフィルターをかけているからでもなく、 きっと妻と私の関係が成熟しきる事が出来たからに違いない。 そう思えた私は、この人と結婚して本当に良かったと、 この人と出会わせてくれた全ての運命に感謝できた。 その2週間後、妻は静かに旅立った。 あまり苦しまずに逝ってくれたのは私にとっても少し救いだった。 それからお通夜やら葬儀やらで人も沢山来て慌ただしく数日が過ぎ、 そして友人や親戚が一人、また一人と帰り、最後に私一人になった時、 改めて妻と最後に交わしたであろう会話を思い出してみた。 なんだったっけな… 「ねえ、あなた、あの頃の、事、覚え、てる?」 「関白宣言?」 「そう、関白、宣、言、」 「またその話?」 「うん、あのね、最近、少し、思うの」 「うん、」 「一度だけ、あの頃に、戻り、たい、な」 「もし戻れたら?」 「ダンボー、ル、テーブルで、一緒に、お酒、のみ、たい」 「ああ、それいいね」 「それから、話を、つけ、加え、たい」 「なんて?」 「でも、もし、私が、先に、その、時は、ごめん、なさい、て」 な感じだったよな。 わかったよ、じゃあ今夜はそうしますか。 私はリビングにダンボール箱をテーブル代わりに置いて、 お猪口(ちょこ)を2つ置いて、妻と二人だけで酒を交わした。 FIN 98-2 (´o`)п(´o`*)п(´o`*)п ****************************     あ と が き 愛する人や大切な人が居るならその中の多くの人が、 死ぬ順番について考えた事があるかもしれませんね。 その考えを更に深く進めてみて、 "一緒がいい"という考えになった人も居るかもしれません。 私にもあります。そしてそんな時でした。 映画「きみに読む物語」(原題:The Notebook)に出会ったのは。 もしこれから観るかもしれない方の為にネタバレはしませんが、 こんな人生の終わり方があるんだ… と凄く凄く、言葉で言い表せないくらいに心が揺れました。 そして一つ思ったのは、とてもシンプルな事でした。 生きてるなら生きなきゃね。誰かの為にも自分の為にも。 今号も最後までお読み下さりありがとうございました。 m(__;)m ライティング兼編集長:メリーゴーランド

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