~解放~ ■アースダンボールメルマガVOL208■2025年6月号
時間はちゃんと流れるものだな。
一人娘を失ってからの20年間、
そんな当たり前の事さえ私は忘れていた。
でも "彼ら" がそれを思い出させてくれた。
憎んでいたはずの "彼ら" が…
(´o`)п(´o`*)п(´o`*)п
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私は伊丹恭二(いたみきょうじ)65歳。
今日は娘の命日で妻と墓参りに来ている。
当時大学生だった一人娘を交通事故で亡くしてもう20年になる。
もう20年と言えたのは、私の中の変化なのかもしれない。
思えば20年前のあの日から、私の時間は止まっていたように思う。
自分で止めてしまっていた、と言う方が正しいだろうか。
でも "彼ら" の存在を毎年感じるうちに、
"彼ら" の流れる時間を感じるうちに、
私の時間も再び動き始めたような感覚に気付き始めていた。
"彼ら" は娘が亡くなってから毎年欠かさず、娘の墓参りに来ている。
20年間、毎年欠かさず、全員でだ。
20年前当時は母親と、小学生の男の子と女の子、幼稚園の男の子の4人だった。
"彼ら" が毎年来ていた事は知っていたし、姿も見ていた。
でも私は彼らの前には姿を出さず、直接顔を会わせなかった。
顔を会わせる事が出来ずにいた。
月日が一年、また一年と過ぎ、
長男が中学の制服姿になり、
その2年後に長女も中学の制服になり、
一番下の子も小学生になり、
その3年後に長男が高校の制服を着るようになり、
またその2年後に長女は高校のセーラー服になり、
いつしか一番下の子も中学生になり、
長男は社会人になってスーツ姿になり、、
長女も大学生でリクルートスーツ姿の時があり、
一番下の子も高校生になり、
いつしか子供達はみんな大人になり、毎年喪服姿で来るようになり、
母親も少しづつ年を重ねていき、でも3年ほど前からは母親は来なくなり、
子供達だけで来るようになり…
とにかく、みんな立派な大人になった。
他でもない、これが私が毎年感じていた "彼ら" の動く時間だった。
止まっている自分の時間と、"彼ら" の進み続ける時間の狭間で、
私はいつしか "彼ら" の成長を見守る様な感覚でいる自分に気付いた。
否、もうはっきりと認めるべきだろう。
"彼ら" の成長を楽しみにしている自分が居る事を。
そう気づいた時、私の時間も再び動き出したのかもしれないと、
思う事が出来たのです。
もちろん、最初こそ "彼ら" を恨むような気持ちはあった。
憎むべきは "彼ら" ではないとわかっていながらも、
その気持ちをどうしても完全に振り払う事が出来なかった。
話し合いも手続きも全て終わっているし、何より "彼ら" は誠実だった。
そして今もなお、毎年こうして全員で墓参りに来ているのだ。
彼らの気持ちは充分に私には伝わっている。
だから「もう来なくてもいいのでは?」と伝えるべきかとも思っているが、
ここに来る事で "彼ら" は自らに課した償いの気持ちを埋めているのかも知れない、
とも思った。私の浅い想像でしかないが。
でもいつまでも "彼ら" がこのままでいいはずはない。
20年経った今、私もそう思う事ができる。
どうすれば "彼ら" は解放されるのだろうか。
確かに "彼ら" の父親が運転する車の事故に、私の娘は巻き込まれた。
その時、運転していた "彼ら" の父親も亡くなった。
世間的には "彼ら" は加害者遺族と言われる立場かもしれない。
でも "彼ら" だって被害者だ。
"彼ら" には何の罪も責任も無い。
むしろこの20年間、どれだけ辛い想いをしてきた事だろう。
もう、もういいんだ…もういいんだよ…
そして今年、私はやっと "彼ら" の前に姿を現した。
「やあ、今年も来てくれたのか…ありがとう」
「い、伊丹、さん…」
3人が揃って驚いて私を見た。いや、5人だ。
長女は昨年結婚して子供も生まれ、その赤ちゃんを抱いていた。
そして長女の旦那さんも今年初めてこの墓参りに同行していた。
全員がかしこまってこちらを向いていた。
私が長女に視線を向けると、赤ちゃんを抱いた長女はゆっくりと私に頭を下げた。
「そうか、結婚して、お子さんも、それはおめでとう」
この一言でこの場の雰囲気の全てが浄化できた訳ではないが、
そう言えた自分に一安心を覚えた。
「ところで君達のお母さん、3年くらい前から見かけんが」
「母は、3年前に亡くなりました」
「そうだったのか、それは存ぜず…きっとご苦労されたろうね」
私は次の言葉を探したが、これが今日の限界だった。
「じゃあ、私達もお参りするとしようか」
そう言って私と妻が手を合わせている間も、
"彼ら" は私達の後ろに立って、再度手を合わせてくれていた。
それから私は「それじゃあ」と一言だけ言葉を発し、
"彼ら" は私に深々と頭を下げ、墓地を後にした。
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「ねえあなた、あの人達この後、父親のお墓参りに行くのよね」
「ああ、そうだろうな、」
「辛いわよねえ」
「ああ、そうだな」
「みんな大きくなったわね、娘さんも結婚したのね」
「そうだな」
「おかしな話よね、今じゃ私達があの子達を心配してる」
「おかしくは、ないんじゃないか。普通でもないかもしれないが」
「時間って流れるものなのね」
「ああ、色々と変わっていくものだな」
妻とこんな会話をしながら私達は家路についた。
そして家に着くと、私は娘の部屋に入った。
あの日以来、ずっとそのままにしてあった部屋だ。
その部屋の片隅には一箱のダンボール箱がポツンと置いてある。
あの日、娘はこのダンボール箱を抱えて大学へ行く途中に事故に巻き込まれた。
娘がこの箱を大学に持って行って何に使おうとしていたのかはわからないが、
あえて言うなら娘が最後に持っていたものだ。
ただそれだけの理由でずっとこの部屋に置いてあった。
充分な理由、と言えなくもないかもしれないが、
もしかしたら娘はこの箱が "その後も" 気がかりだったもしれない。
私はそのダンボール箱を平らに畳み、ゴミ回収の日程表を確認した。
リサイクルゴミは次の土曜日か…
このダンボールがリサイクルされれば、世の中の為になるだろうか。
いきなり全部はできないが、ここから始めてみるか。
時間はこれからも流れるのだからな。
私も、彼らも。このダンボール箱も。
FIN
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あ と が き
憎むべきはそこじゃないとわかっているのに、
それを憎むことで大切な何かから逃げてしまう、
そんな経験をした人もいらっしゃるのではないでしょうか?
私にもあります。
でもそれに気づかせてくれた人や物事が、
とても大切な存在になる事もあります。
それはとても素敵な事だと思うんです。
だからもし今、あなたが何かを憎むことで何かから逃げていたら、
それと向き合える日が来る事を、筆者として願います。
そして半分は私自身に言っている事もお伝えしておきます。
一緒にがんばろう。
今号も最後までお読み下さりありがとうございました。
m(__;)m
6月某日 ライティング兼編集長:メリーゴーランド
